1月 28, 2012

また「きっと消費者は○○を求めているに違いない、だから自分たちがそこに介入するのだ」という事業者の姿勢を、パターナリズム(父権主義)と、より悪い方に解釈する土壌も、スマートフォンには存在する。というのもスマートフォンはいわば「小さなPC」であり、従来のWebの世界と親和性が高い。そのため、Webの世界を支える消費者主権的な思想と、従来のフィーチャーフォンに見られるような「通信事業者が何でも面倒を見てあげる」という思想とは、もとより相性が悪いのだ。

スマートフォンは誰のものか?|スマートフォンの理想と現実|ダイヤモンド・オンライン (via clione)

(h-yamaguchiから)


toukubo:


ns2t9v99ae:

梅覗軒ブログ

これだけいけてるチャートに画像および文章の無断転用を固く禁ずるとある点とこれがtumblrでこれだけリブログされている(現在222)は重要な話だが、良い絵だ。色としては本当に混ざるとあの色になるのかなこれ

toukubo:

ns2t9v99ae:

梅覗軒ブログ

これだけいけてるチャートに画像および文章の無断転用を固く禁ずるとある点とこれがtumblrでこれだけリブログされている(現在222)は重要な話だが、良い絵だ。色としては本当に混ざるとあの色になるのかなこれ

(h-yamaguchiから)


あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。

*****

こうやって丁々発止で説得し合ううちに、けっこうみんな、最初とは意見が変わっていくんですよ。「自分はドッジボールが好きだけど、当てられて嫌がる人がこんなにいるなら、バスケの方がいいかな」とか。「ソフトボールがやりたかったけど、言われてみれば学校のグローブはボロいし数も少ないし、別の種目の方がいいかな」とか。いろんな角度から意見とその理由を発表し合って、考えに考えて、意見が出尽くしたところで「では採決を」と持って行くのが、マツダ先生のやり方でした。

これが当たり前だと思ってたんだよね、小学生時代のあたしは。ところがいざ中学校に入ってみると、そこでの「話し合い」はこんなていたらくだったんです。

*****

なんちゅう幼稚な意思決定方法だ、と12歳のあたしは思ったね。こいつら小学生以下かと。これじゃ各自がなにも考えずに「ぼくのわたしの好きなもの」を選んでるだけで、意見を交わしたり考えたりっていうプロセスがゼロじゃん。自分と違う視点に気づくチャンスすらなく、それぞれセルフィッシュに「(自分が好きだから)これがいいでーす」と手を挙げるだけで、こんなの何の意味があるんだよと。

*****

そんでもって、意見交換で相手を説得するには根拠が必要なんです。上の方にも書いたけど、根拠を挙げようと思ったら、「ぼくは/わたしはこれが好きだから、みんなこれに賛成するべき」なんて小学生ですら恥ずかしくて言えなくなります。たとえタテマエでもいいから、「なぜこれが集団の構成員全体にとって有益なのか」を示さなければならなくなるわけで、全員が頭をひねってその「なぜ」を考えるうちに議論が深まり、より考え抜かれた意見が形成されていきます。そこまでやってから決を採ってこその多数決でしょ。

*****

結局はマツダ先生が偉かったってことになるんでしょうけど、ああいう議論のしかたの教育を日本じゅうの小学生が受けられるようにしなくちゃいけないと思いますね。ゆとり教育の見直しで算数だの英語だのの時間を増やすのもいいけど、こういうところにももっと力を入れていく必要があるとあたしは思ってます。

マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記

これ、一度そういう経験をしないとわからないと思う。

(via dorelax)

(h-yamaguchiから)


私たちには「メディア」としての機能が備わり、それが日々強化されているわけです。つまり自分たちが意識しなくても、インターネットが普及しソーシャルメディアの利用者の数が増えれば増えるほど、私たちのツイッターやフェイスブックの影響力が相対的に拡大してきているからなのです。

 しかし一方で、私たちの知識や意識の方はどうでしょう? リアルの世界で実際に他人と接している際の、賢明な判断や冷静な大人の対応を果たして私たちはネットの世界でも出来ているでしょうか?

インターネットの中だからといって、相手の顔が見えないからといって、大人気ない行動をとったり、必要以上にはしゃいだりしていないでしょうか? 昼間に街を歩いている時には絶対にしないような行為をネットの中だとついついしてしまう。冷静に考えればそんな事おかしいとわかるのに、ネットに書いてあるとなんとなく信じてしまう。

まさかこんな大事になるとは思わなかった。

ネットの世界ではこの“まさか”が日々起きています。

口コミの操作問題に思うこと | Digital Marketing(デジタルマーケティング) (via bmidvar)

(h-yamaguchiから)


今回の食べログ騒動みたいなのでややこしいのは、ここに食べログへのやらせ投稿事業者のようなメディア側がコントロールできない存在が出てきている事です。

 もう一度関係者を書くとこんな感じでしょうか。


■企業:やらせやステマ行為によりメリットを期待される存在
  ↓
■事業者:企業にやらせやステマ行為を提案して利益を得る存在
  ↓
■メディア:やらせやステマ行為が実施される場
  ↓
■ユーザー:やらせやステマ行為によってだまされかねない存在

 テレビのワイドショーなどのマスメディア側の論調は、食べログのようなネットの口コミ情報サイトにはやらせが存在するので、サイト全体の信憑性に問題があるという論調が目立つ気がしますが、本来は食べログはやらせ投稿事業者に場を荒らされてしまった被害者であり、悪いのはやらせ投稿事業者です。
 ただ、マスメディアの視点からすると、やらせ投稿が平然と存在する形態になっている口コミ情報サイトのやり方が理解できないという構図になっている印象があります。

 一方で、ネットユーザーに多い根本的な広告嫌いの人たちからすると、どうせ企業も事業者もメディアも全部一蓮托生でグルだから、ネット上の書き込みなんか全部ステマでしょ。というのが最近のステマ発言ブームに現れているようにも感じます。

「ステルスマーケティング」や「やらせ」行為は、やらせが判明した場合のリスクが実は非常に大きい事が理解されないと変わらないのではないだろうか - tokuriki.com (via clione)

(h-yamaguchiから)


1月 5, 2012

40代以上になると現実の社会でそれに近い体験をしていたり(属している会社や団体の力で)、個人がカバーできる人間関係が飽和する量にすでに達していてそれを更に広げようなどとは思わないのではないかと。

一方で、30代ってのは、ちょうどネットと現実とをうまく対比しながら使ってこれた世代で、現実の狭い、不便だった面を子供時代に体験した後、社会に出てパーッと自分の世界が広がるところで現実はなんかバブルがはじけてプシューとしぼんでいったのに対し、インターネットはあれよあれよと世界が広がり、サービスは増え、素敵な未来を期待させてくれるという。そりゃー、「イヤッホー!! インターネット最高ゥォォォ!!」と言わなきゃ嘘になりますw

そして20代以下は、インターネットと似てるけどそのスモールワールドだった携帯ネットで身近な人と子供時代から繋がりまくるのが当たり前な環境で育ち、大人になる頃にはもうすでに自分の世界に登場する人達は飽和してる。会社に入社したからといって、0から人間関係を構築・拡大する気もなく、人生において必要な要素の多くはネットを通じて手に入るので、無理に現実で頑張らない。頑張りすぎた30代の打ち破れて行く姿がいやでも目に入る今、低くても良いから安定した生活を望むのは当然の帰結。

世代で違うインターネットの受け止め方 - 北の大地から送る物欲日記 (via igi)

(katoyuuから)


shibata616:

集団思考~アッシュの実験カード~
Xと同じ長さの線を1.2.3から選ぶのは簡単なことである。しかし、ここにサクラの参加者を入れると事情が変わってくる。実験では7人のサクラを入れ、被実験者より最初に答えるように設定された。1回目、2回目は被実験者もサクラも正しい答えをした。3回目にサクラ全員が線1がもっともXに近いと間違った答えをした。その結果、被実験者の35%がサクラと同じ間違った答えをしたのだ。アッシュのこのテストは「従順への圧力」があることを示している。その後の質問で被実験者の殆どが、グループの答えは間違いだと思いつつ、同一行動をとったと言う。

shibata616:

集団思考~アッシュの実験カード~

Xと同じ長さの線を1.2.3から選ぶのは簡単なことである。しかし、ここにサクラの参加者を入れると事情が変わってくる。実験では7人のサクラを入れ、被実験者より最初に答えるように設定された。1回目、2回目は被実験者もサクラも正しい答えをした。3回目にサクラ全員が線1がもっともXに近いと間違った答えをした。その結果、被実験者の35%がサクラと同じ間違った答えをしたのだ。アッシュのこのテストは「従順への圧力」があることを示している。その後の質問で被実験者の殆どが、グループの答えは間違いだと思いつつ、同一行動をとったと言う。

(katoyuuから)


・インテル貶してPowerPCを絶賛してたのにあっさりインテル採用。
・あれ程忌み嫌っていたWindowsが動くようにbootcamp搭載。
・動画再生機能は不要と切り捨ててたのに手のひら返してiPodに動画機能追加。
・右クリックを全否定してたくせに右クリックを追加。


こういったことを平然行ってたジョブズがいなくなったことで、
こういうことも行われなくなる


・adobe買収してネガキャンしまくってたFlashを採用。
・既に死んでいると言い放った7インチのiPadを発売。


教祖の教えを否定できるのは教祖だけ。
教祖亡き後は思想のない戒律だけが残る。

暇人\(^o^)/速報 : ジョブスが去った後のAppleがやらかしそうなことといえば? - ライブドアブログ (via hepton-rk)

(katoyuuから)


(出典: televandalistkatoyuuから)


「お笑い芸人をひどい目に遭わせる」っていうテレビ番組のパターンが好きになれない。いじめのセンスを競う文化でどれほど子供がひどい目に遭っているか。野暮でも「やめろよ、子供が真似するだろ!」と怒っていくのが本当の大人ではないかな。

Twitter / @futodoki: 「お笑い芸人をひどい目に遭わせる」っていうテレビ番組 … (via futashika)

イジメそのものはテレビを全面禁止したって起きる、動物的本能に根ざした避けられない問題。テレビのイジメ芸は、むしろ子供がイジメとは何かを考えるきっかけになる事を評価したい。自分がこの立場にいるんだな、という事を自覚してから次の一歩が始まる。

なので芸のどっかに「これはイジメ芸ですよ」というのが分かるようにするのが理想。イジメる側が単にいい立場になってるのは芸ではなくほんとのイジメをショーにしてるだけだが、たとえば「笑ってはいけない」の蝶野vs山崎の場合、山崎が無実なのに蝶野が有罪と信じて暴力を振るっている(つまり蝶野もアホでマヌケな役どころ)から笑いや芸として許されるというように、ちゃんとした芸人やバラエティ作家はこのへんもけっこう考えて作っている(面白いかどうかは別だけど)。

イジメる側・イジメられる側になんらかの異常が起きていて、それが行動に繋がるという事を客観的に観察できることは子供にとって貴重な体験だ。

山崎が悪いやつだからいじめられてるのか?そうじゃない。

蝶野がひどいやつだからいじめてるのか?そうじゃない。

それを笑いながら理解できればすばらしいことじゃないか。

(via nunnungogo)

途方もなく理想的な仮定ですね。そんなふうに考えることができる子供がいないとは言い切れませんがごく少数でしょう。同意できません。

バラエティーのイジメは「笑えることが人間の尊厳より優先する」という論理の元に成り立っています。
それで、「自分たちが笑えることのためにいじめる」ということをどんどんやるのが子供です。 
客観的に見る体験を作ってなんかいません。面白ければどんどんいじめていいと思わせているのではないでしょうか。 

「いじめが動物的本能」という理屈にも賛成できません。だからといって放っていいことにはなりませんし。

テレビ局が子供への悪影響を考慮して作っているとは全く思えませんね。

付記。別にテレビがこういうことをやめればいじめはなくなるなんて思ってません。ただ、助長させてるよねって話。

(via futashika)

(yaruoから)